先達さん
大宝寺と岩屋寺へ向かうために、大街道のバス停でバスが来るのを待っていたら、中年の女性に絡まれた。
どうやら先達さん(お遍路のガイドの資格を認定されている方)らしく、これから向かう岩屋寺で仏道に入ったという話だった。その他にも貴重なお話を伺ったが、いきなりすごい情報だったので、強烈だった。
最初に絡まれた時も、ちょっと怖い雰囲気で、あまり関わらない方がいい雰囲気が普通に醸し出されていたと思う。話してみると悪い人ではないとわかるのだけど、ちょっと押しの強い感じがした。
「バスの運行情報の表示板にバスの名前が載ってないんだけど、本当にバスが来ると思っているの?」って。
「うーん、、時刻表にそう書いてあるんで」と見てもらう。そんなこと文句いわれても案内画面に出ない理由なんて知る由も無いし。
結局、その方が隣の席に腰掛けてきて、楽しそうに話しかけてくるので対応していたけれど、バスの中での会話を苦々しく思っている人もいたらしく、バスを降りてから、おっさんのお遍路さんに叱られた。なまっててよくわからなかったが、先達の女性の事について「あの先達は、恥ずかしい人やデー」とかなんとか言っていた。
確かに、1時間ちょっとの道中。その先達さんはほぼずっと話続けていたし、おばちゃんにありがちな「あめちゃん」なんかも提供してくれた。私も「これはよろしくない状況だな」と思ったものの、最初に書いたとおり、まともに相手にすると厄介な人の可能性もあるので、好きに話させておくのがいいのかなと思ったのだ。
なんか日本全国で似たような問題が起こっているのだろうと思う。
感染を防ぐために努力を続けるのは必要だが、四国の感染者数は一桁で、おそらく陽性者と出会う確率はほぼゼロというのを考えると、あんまりぎすぎすするのもどうなんだろうなとか、本当に悩ましい。
実は千歳空港へ向かうバスの中でも、年配の女性があれやこれやと話をしていて、別の女性からやんわりと止められていたし、松山の空港から市内へ向かうバスの中でもお年寄りがいろいろと連れの人に向かってあれよこれよ話していた。電車の中で若い人が話していたりとか、そういうのをいちいち止めていたらキリが無いんじゃないかと思う。
マスクもしているのだし、普段出歩かないおじいちゃんやおばあちゃんが休日に楽しんでいるんだから、暖かく見守ってさしあげるのも、有りなのではと思う。
うるさかったらノイズキャンセリングのイヤホンで音楽でも聴いたらいいと思う。
それと気にくわないからといって、初対面の女性を「恥ずかしい」というのはどうなんだろうなと思った。そうやって平気で人を悪く言えるのって、普段から人を悪く言う習慣のある方なのかなと思った。
確かに迷惑なのかもしれないけれど、そうやって会話することで救われる魂もあるんだろうなと思う。
それに本当に迷惑なら、千歳空港に向かう途中のバスであったように、その場で「少し我慢してもらえませんか」って言えば良いのに、人の目を気にしてその場では注意せずに、いかにも弱い立場の若い女性の方へ後からいちゃもんつけるのは、どうなんだろう。ひたすら話していたのは先達さんであって、私は「内心、あーからまれちゃったよ。話すの控えててくれないかな」と思いつつ適当に話を合わせて相づち売ってただけなのにな。
この日、3番目に向かった太山寺でも強烈な個性をお持ちのお遍路さんがいた。
お参りをしていたら、年配の男性お遍路さんから「このお寺は願うとかなう」と話し掛けてきた。「ただし欲にまみれた願いはかなわず、修行したいと願えば好きなだけ修行させてくれる」と言われた。
関わりたくなかったので「へー、すごいんですね」と通り一遍の返事をして離れた。
ただその年配のお遍路さんは、なかなかに柔軟な考え方をしているらしく別の若い男性お遍路さんの「お遍路に公共交通機関を利用するのはどうなんだろうか」という問いかけに対して「歩きが基本だけど、いろんな事情で身体がしんどくなったり歩けなくなったときは使ってもええんちゃう」と答えていた。
確かに長期間旅行をしていたら、体調が優れないときとか、ケガをする事もあるかもしれないので、そういう時は無理をしないという考え方も大事だという事なのだろう。
さすが、修行大好きな方だなと納得してしまった。
といいつつ自分も他人にアドバイスしてみた。円明寺で、ろうそくを一番下の段にずらーっと6本ばかり並べてともしている人がいて、おそらく後からお参りにくる人は、面食らってしまうだろうと思った。
というのもろうそくを灯す時は、出来るだけ上の段から、出来れば左からという暗黙のルールがあり、お寺によっては灯明立てのコーナーに、そのむねの張り紙もしてあったりする。ちゃんと道理にかなっていて、下からろうそくを立てていくと、上に灯そうとした人が熱い思いをするし、右側にろうそくがあると手の甲が熱くなってしまうからだ。それをさけるために、左上から立てていく習わしだそうだ。
ということをその家族連れの人に優しく丁寧に説明したら、大師堂のろうそくを消して行かれた。言われていることは道理にあっているし、あきらかに他人に迷惑な行為だと認めたからなんだそうな。
線香にも同様の事が言えるそうで、後から立てる人のことを考慮して出来るだけ内側に線香を立てていくのがマナーだそうだ。でないと後の人の服の袖が、線香で焦げてしまう危険性があるからだ。
バスのおしゃべりのことも、こんな風に説いてくれたら嫌な気分にはならないのかもしれない。もしよかったらですが、、という下から目線が、人を動かすのには重要なのかもしれない。
バスは時刻表を守らない
まとめ
「バスはオンタイムで運行していない事が多々あるため、バスへの乗車を行程に入れる場合はスケジュールに余裕をもたせること。」
久しぶりにお遍路の旅をした。
42番佛木寺からだ。
今回のお遍路の旅では、最初から最後までバスの運行が遅れていて、その影響が大きかった。
まず千歳空港への連絡バスが遅れていた。
朝の忙しさで乗り遅れたはずのバスが5分遅れで、バス停に到着した。
次にバスではないが、何処かのお寺で、お勤めの方が納経帳に墨で書き込むのに慣れていないようで、行列が出来ていて待たされた。
宇和島から松山へ向かう高速バスが普通に遅れて、バスの乗り継ぎがぎりぎりになった。あと一瞬遅れていたらバスに乗り遅れていた。
その浄瑠璃寺の最寄り停留所へ向かうバスもやはり時間通りでは無く、予定通りには行かなくなった。それが引き金になって、お勤めの方の納経帳に書き慣れていなかったりが重なり、その後の予定がずるずると狂っていった。
そして西林寺のお参りを終えたすぐ後にバスに乗車する時間になっていて、ここで完全にスケジュールから外れてしまった。
それでiPhoneのマップに次の浄土寺までの行程を計算させたら、バスで行くと40分、徒歩だと約35分と出たので、バスで行くことにした。
後ろから浄瑠璃寺から顔を見かけている歩き遍路さんが来て、声をかけられたので「歩いた方が5分ほど早く着くかもしれない」と伝えた。一瞬微妙そうな顔をして、そのまま歩いて行かれたが、その方に再び会ったのは、お参りを終えて浄土寺から出る時だったので、その方の歩行ペースが少しゆっくりだったことが判明して苦笑いしていた。
結局この日は予定していた石手寺には行けなかった。
もともとスケジュールがタイトだったので、写経をして収めることでお寺での滞在時間を短くしようと用意していたけれど、焼け石に水だった。
石手寺には帰る日の早朝にお参りすることに。
この日は足の裏に水袋も出来てしまって、踏んだり蹴ったりな1日だった。
そして翌日、大宝寺と岩屋寺に向かう朝には、さらに強烈なことがあった。
それは後で書くとして、岩屋寺から戻るバスが普通に遅れており、太山寺へ向かう電車への接続で遅れが生じた。もともと太山寺と円明るい寺へ向かう行程は、かなり余裕のあるスケジュールであったため、この日は全ての行程を無事に終えることが出来た。
レンタカーの旅は思ったようにはいかない
レンタカーの謎。
前回も仏木寺前で時間切れになったが、今回もだった。
理由は、レンタカーを借りるまで待たされた事。にしても、今時はレンタカーで就活なんてするのだと驚く。電車やバスではたどり着けない辺鄙な場所かしらん。
レンタカーの旅は思ったようにはいかない
レンタカーの謎。
前回も仏木寺前で時間切れになったが、今回もだった。
理由は、レンタカーを借りるまで待たされた事。にしても、今時はレンタカーで就活なんてするのだと驚く。電車やバスではたどり着けない辺鄙な場所かしらん。
レンタカーの旅は思ったようにはいかない
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前回も仏木寺前で時間切れになったが、今回もだった。
理由は、レンタカーを借りるまで待たされた事。にしても、今時はレンタカーで就活なんてするのだと驚く。電車やバスではたどり着けない辺鄙な場所かしらん。
清滝寺から青龍寺まで
この日も朝から電気が良かった。
高知市街の堀詰バス停から高岡営業所へ向かうバスに乗り、高岡高校通で下車して清滝寺へ。1周目に歩いた時の事が昨日の事のように思い出された。
お参りを終え納経所へ向かうと桜が咲いている石段の左右にお年寄りが座っていて、傍には猫もいて、お年寄りから与えられた餌をおいしそうに食べていた。
日差しが暖かく、時間がゆっくりと流れていた。お爺さんが、ここの景色も素晴らしいと自慢していた。眼下には土佐の街並みと遠くに海も。
納札に、穏やかな日々を過ごせますようにと書いてみたけれど、まさにその通りの光景だった。
再び高岡高校通バス停から、今度はドラゴンバスに乗り換えて竜バス停へ。途中、土佐の海がとても綺麗だった。前にレンタカーで来た時の事を、道のど真ん中坂のてっぺんに生えてる不思議な木を見て思いだした。
青龍寺へ至る不思議な道も相変わらずだったが、桜が咲いていて綺麗だった。