お遍路忘備録

お遍路で気がついた事、意外な事など

お遍路のマナーの良し悪し、お遍路の意味

お寺で会うお遍路さんや地元の人は、ほとんどが良い人だ。

しかし、変わったもいるという話。


お遍路さんに化けた変な人。


53番円明寺で、他人が挙げた線香をいじる人がいた。

私が大師堂でお経をあげて、ほんの2、3分しか経っていないのに、線香が無くなっていた。えっ、、そんな早く燃え尽きるはずないよな、、と灰を良く見ると、先にお参りしていた男性の分もあわせて、ひとまとめにして真ん中にぐっと押し込まれたか、途中で折って刺し直したみたいだった。束になってしまった線香の燃えかすが、モンブランのようにまとまっていた。菊の花のようにも見えた。


そして本堂に杖を忘れたので取りに戻ると、本堂の線香も同じように刺し直されて燃え尽きていた。


お寺の人に話してみたら、「寺の者は、この時間には片付けたりしない。悪戯されたんじゃないのか。他人があげた線香に何かするなんて、おかしい」との事だった。


実は、心当たりがあった。1つ前かそのさらに前のお寺から見かけてた若い青と黒のウインドブレーカーみたいな上下に青いリュックの男性だ。

気になったのは、唱えていたのが般若心経では無いお経だったのと、お経を唱え慣れてるようで、まるで若いお坊さんみたいだけど、雰囲気がお坊さんではなくて、何かこう、チグハグな感じ。そもそも若い男性のお遍路さんは稀だし、いたとしても大抵は白衣や和袈裟をまとまっていて、普通の格好なのが更に珍しいのと、上手にお経を唱えてるのに、納札もお賽銭も納めていなかったからだ。その若い男性がこちらをチラチラと見ていたようで、視線が合ったからだ。本堂で蝋燭をあげていたら、じーっとこちらを見ていた。

実は、この日は風が強くてライターの調子が悪いみたいで、こっそりと、蝋燭に火をつける際にもらい火をしていたので、見咎められるかな、、と一瞬思った。

その男性が知らないお経を唱えている内に、私が大師堂へ。今度はちゃんと自分で蝋燭に火を灯し線香をあげた。本堂でも先にお参りしていた年配の男性の隣に線香をさして読経。読経を終え、ふと振り返ると、その男性が線香の前に立っていた。私と入れ替わりで読経を始めたようだ。他にスペースがあるのにお参りしないのは、私が読経をした場所が定位置が何かか、訳あって私の読経が終わるのを待っていたのだろう。


で、お線香を悪戯されているのを、私が見つけたと。


納経所にも現れなかったことからも、お遍路さんではないのかもしれない。ただのお寺好きや読経マニアかもしれないが、他人があげた線香には、その人の想いが詰まっているのだから悪戯はどうかと思う。

しかし、風が強く吹いてるからといって、もらい火する私もダメな子なのかも。

お遍路始めたての頃に、やはり風が強く吹いた日に、「本当はダメなんだけどね」って、テヘペロしてもらい火してたオジサンに苦笑いしたのを思い出したけど、そんな嫌な気はしなかった。むしろ仕方ないよねって同情。

それと、火を灯された線香は火傷する位熱いのに、火傷のリスクを冒してまで他人の線香をどうにかする悪意というか熱意がすごい。

私が悪い事したんだろうか、と振り返ってみても、もらい火以外には思い当たる節がない。


お寺の人が言うには、「お寺に来る人にも色んな人がいて、他人の掛け軸や納経帳を盗むような人もいる。もちろん他人の線香を悪戯するなんて良い事の訳ないけど。」

盗まれた掛け軸などは、売られているらしい。そんな物買って、一体何の意味があるのだろう。


意味を考えると微妙だ。そもそも形になって残る物には意味なんて無いのかもしれない。掛け軸も納経帳もスタンプが押されて墨で何か書かれた紙でしかない。ただ、そこには見えない思い出や想いがいっぱい詰まってる筈だ。見えない物がいっぱい詰まってるから価値があるけれど、見ず知らずの盗品買いの人と共有はできない。

線香も、蝋燭も同じだ。煙が出てる棒のようであってそうではない。また煙と一緒に人の手を離れて想いが空へ登っていけば、悪戯なんてきっと意味のないことなんだろう。

お遍路も歩いて足が痛くなったり、車を運転してクタクタに疲れたりしてお参りをする気持ちに意味があるのであって、何でもありのスタンプラリーじゃないと、今回の道中でお寺からいただいた注意書にも書いてあった。注意書には、良い人になるための修行ともあった。人に親切にする、欲張らない、精進する、冷静に、よく考え、辛い事にも耐える、謙虚な姿勢どなど六波羅蜜という修行について書いてあった。なるほど、こういう事なのかと改めて考えさせられた。


石手寺の大師堂の囲いに寄りかかり座りながら延々と何時間も読経している年配の女性がいた。遠くからでも聞こえるような大きな声で連続再生されるお経に、一瞬イラッとした。私も読経しているのだが、その女性の声が大き過ぎて、邪魔に思えたからだ。

線香を悪戯した人も、そういうイライラがあったのかもしれない。

六波羅蜜でいけば、少しイライラしたからといって、他人の線香に悪戯をしていい理由にはならないのだけど。